演出雑記09
2025.11.07

「生きる」という事
「生きる」という事はただ呼吸をしているから「生きる」という訳ではない、私達は人間であるのだから、日々の生活をやりくりしている。

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一人分の米に梅干しを入れる美津江

洗濯物を干す、たたむ、料理をする。箒を使う、花に水をやる。身の回りの清潔感だったり、居続ける必要性や環境作り。それが人間の「生きる」であると思う。

そして、日常の中から湧き上がる小さな感情が日々の娯楽として私達の生活を彩る。

美津江はどんな部屋で生活をしていたのか?
私だったらどうしていただろうか?

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明りは一つあれば十分だ。たまに蝋燭を見つめて揺らめきに見とれるのだ


遠い記憶をたどってよみがえる記憶は、暗がりに立つ自分自身の姿だった
暗い台所で日々の仕事をせっせとこなす姿。分け与える家族や恋人はいないのだ。

暗がりでキャベツを刻む、だれの為でもなく。そのキャベツに虫がついていたって、正直一人住まいなら気にしないであろう。
本を読む時には小さな明りがあれば事足りる。

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お互いの部屋から、存在を確認できる事が幸せだったりする。


そんな生き方だと思う。でも孤独ではない。当時の人はみんなそんな暮らしをしていたんだと思うし、暗闇には慣れているだろう。それに暗がりは落ち着くのだ。
美津江も日々の生活の中で蝋燭に火をともしてじっと眺めただろう。

形はどうあれ、人はいかなる困難があろうと生きるためにコツコツ生活を立て直し、生きていくのだ。

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私達は日々稽古に励み、演劇を作る事だって大切な生活の一部だ。


今日ニュースでアメリカが核実験再開について提示するニュースを聴いた。

なんて悲しいニュースなんだろう。

これにて「父と暮せば」の演出雑記は終了します。